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なぜ日本の精神教育が危機的状況なのか

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海外見回しても日本みたいに不登校者が増えている国はない。

韓国でもフリースクールなどを増やして対応していて日本ほど不登校はいないみたいです。

以前から不登校の勉強をしていて雑にまとめると、要は子供の環境の居心地が良すぎてメンタルが弱くなっている事が原因のようです。

では、何十年も前から一人っ子政策をしている中国も子供が甘やかされて育ってしまうことをリトルエンペラーと呼ばれいるみたいです。

中国も同じように子供の環境がよくなりすぎて、不登校が多いと思ったのですが、日本よりも熾烈な受験競争を強いられているので、その受験勉強でメンタルが鍛えられて不登校もいるけども少ないようです。

他海外はドイツが少し不登校がいるだけで、ほぼ皆無だそうです。

中世の文化からなる、精神教育の元が宗教が元になっているのではと思います。

世界的にみて宗教が少ない国はほぼなくて、東アジアくらいかと思います。

海外の文化の精神教育は基本的には家族が担い、問題が起きれば教会やモスクに行ったり習慣だったのではと思います。

日本は中世から儒教的な思想のもと、精神教育を家族よりもその村の村長などのコミュニティのリーダー的存在が精神教育を引っ張っていったのではと思います。

欧米はより家族での精神教育がメインだったのではと思います。

そのコミュニティのリーダー的存在が学校教育が始まってからは学校の先生が担うようになっていったのではと思います。

しかしながら、バブル期の受験戦争と呼ばれる時代から次第に学校の権威は下がっていくことになります。

昔の先生が全員素晴らしい先生だったかというとそうでもなく一人の人間ではあります。

理不尽に暴力を振るうことも日常茶飯事だったにも関わらず、文句を言う人は今よりも少なかったです。

それは学校の権威が下がってきたのではと思います。

熾烈な受験競争をしている中国の学校には権威が依然としてありそうです。

そのストレスを与える学校が与えられなくなってしまいました。

他の海外では教会やモスクが子供からすれば頭の痛い道徳的な事を教えられてストレスを与えてくれます。

そして、家ではそこまでしつけがなく、優しくしても安全基地としての役割を担えてストレスを与える役割は低く抑えられます

日本での精神教育、道徳教育などは家族よりも社会に委ねていて、20世紀からは学校に委ねていたのにその学校でもストレスを与える事ができない状態になってしまったのではと思います。

権威があり、尊敬もされている人からストレスを与えらる事によってメンタルを鍛えられていたのに、今の日本にはそういったものが存在しないし、これからも存在し得ないです。

これから学校に権威付けを与えようにも、学校教育自体が無意味と思っている人は増える一方です。

そういう状況でストレスを与えれば尊敬されるどころか訴えられて、権威も維持できる状態ではないです。

体罰をしようものなら、大ニュースです。

学校で精神教育やしつけが不可能になった今は家族の親が担うしか方法はないです。

そうなると安全基地である役割の反対にあるしつける役割を同時に使い分けて行うのは至難の技です。

さらに、家族も核家族化と共働き、母子家庭の増加で余裕がないのが現状です。

ストレスフリーな環境で育った子供たちが社会に出ていって、社会のストレスに耐えられるかが不安です。

耐えられないから引きこもりになってしまうのかもしれないです。

そうなると戸塚ヨットスクールの思想も一理あるのではと思います。

例え、テクノロジーや文化が進んで社会が限りなくストレスフリー近づいたとしても、赤ちゃんが理不尽な事は変えられないと思います。

子育ては昔に比べれば絶対的には楽になっているのだけれども、ストレスフリーな現代での子育ては最大の苦行という事もあり、少子化に拍車がかかっているのではと思います。

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