核抑止力はただのプロパガンダ
「核が平和を守る」という言説を検証する
国際政治の議論では長年こう語られてきた。
「核兵器を持つ国は攻撃されない。核は究極の安全保障だ。」
しかし、歴史を冷静に振り返ると、この言葉を裏付ける明確な証拠は存在しない。
むしろ、核抑止論は「信じたい側」が作り上げた物語であり、実証された理論とは言い難い。
本稿では、「核が国家を守る」という前提そのものが幻想である、という立場から考察する。
北朝鮮のケース:抑止の証拠にはならない
核抑止の例として最も語られるのが北朝鮮だ。
「北朝鮮は核を持っているからアメリカも攻撃できない」
という主張は広く流布している。
しかし、事実はこうだ。
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朝鮮戦争停戦後、北朝鮮は核を持つ前から攻撃されていない。
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アメリカや韓国は、北朝鮮への全面攻撃を政治的・地政学的理由で避けてきた。
つまり、
核があるから攻撃されなかった
ではなく
そもそも何らかの理由で攻撃するメリットがなかった
だけかもしれない。
よって北朝鮮の事例は、核抑止の証拠として成立しない。
リビアやアラブの春:核の有無とは関係ない政権崩壊
リビアは「核を放棄したから潰された国家」と語られることがある。
しかし、崩壊の要因は核ではなく国内の反政府運動と政権の腐敗だった。
そもそも次の点が重要だ。
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核兵器は対外抑止の道具であり、国内革命には使えない。
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独裁者が自国民に核を使えるはずがない。
つまり、リビアが核を持っていたとしても結果は変わらない。
核は国内政治の崩壊防止には役に立たない。
核保有国ですら攻撃されている現実
核を持っていれば攻撃されないという説は、現代の事例と矛盾している。
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アメリカ(世界最強の核保有国)→ 9/11で攻撃
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イスラエル(核保有国)→ テロ・ロケット攻撃・戦争が継続
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インド・パキスタン → 核保有国同士でも戦闘継続
つまり核は、
「戦争を止めた」のではなく、
「戦争の形が変わっただけ」
とも言える。
核があるから安全になるという理論は、現実に照らすと説得力を失う。
ソ連崩壊:核が国家を守るどころか負担になった例
もう一つ象徴的な事実がある。
ソ連は核兵器開発に国家資源を注ぎ込み過ぎ、経済が崩壊した。
核兵器は維持するだけでも膨大なコストがかかる。
「抑止力のための投資」が国家財政を疲弊させ、結果としてソ連は内部から崩れた。
ここから導けるのは、
核兵器が国家を守るのではなく、国家を削り、最終的に弱らせるリスクがある。
という逆説である。
核なしでも上手く外交している国は多い
核兵器を持たずとも、巧みな外交戦略によって国際政治で存在感を示している国は多い。
サウジアラビア、UAE、カタールといった湾岸王政国家はその典型で、石油・ガスという圧倒的なエネルギー資源を背景に、米国とも中国とも良好な関係を保つ“二股バランス外交”を展開している。資源を武器にしつつ、同時に中東和平や紛争調停にも顔を出し、核保有国と同等かそれ以上の発言力を得ている。
シンガポールは資源も核も持たない小国だが、透明性の高い行政、軍事的自立心、金融・物流のハブとしての地位を武器に、世界中から信頼を集める。外交は“信用”で成り立つという典型例で、核抑止に頼らずとも国家の安全と発展を保証できることを示している。
ベトナムは一党体制を維持しつつも、対米関係の改善、中国との微妙な距離感、ASEAN外交を使い分けて安定を保っている。軍事的には中規模国家だが、地域での調整役として存在感を強め、核の代わりに「地政学と外交力」で安全保障を実現している。
キューバもまた、長らく制裁を受けながらも外交交渉と周辺国との協力で体制を維持し、核を持たない国家でも外圧に耐えるモデルを示した。
そしてトルコは、NATO加盟という地政学カードを最大限に活用し、欧米・ロシア・中東の三方向と関係を調整しながら、独自の地域大国として振る舞っている。核こそないが、軍事力・政権基盤・外交の独立性を背景に、核保有国とも対等に交渉する立場を築いている。
これらの国々が示すのは明確だ。
国家の外交力を決めるのは核ではなく、地政学、経済力、統治能力、国際的信用といった総合力である。
核がなければ外交的に不利になるという主張は歴史的にも実証されておらず、むしろ多くの非核国家が「核に頼らない安全保障」を成功させている。
では核抑止論とは何なのか?
歴史、政治、軍事、国内情勢、外交関係、経済圧力。
戦争や政権存続には無数の要因が絡む。
その中で核抑止論は、単純化された理想モデルでしかない。
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核保有国が攻撃されなかった=核のおかげ
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核非保有国が崩壊した=核がなかったから
という解釈は、因果ではなく思考バイアスである。
核抑止論を科学的・経験的に実証できるケースは存在しない。
核抑止論は大国が自国の優位性を維持するためのプロパガンダ
核抑止力という概念は、しばしば「安全保障の客観的理論」として語られるが、実際には政治的プロパガンダとして利用されてきた側面が強い。
① 日米安保の価値を“神格化”するための装置
日本では特に、
「アメリカの核傘があるから日本は安全」
というメッセージが長年繰り返されてきた。
しかしこれは、
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米軍基地の正当化
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日米同盟の不可逆化
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国内防衛議論の封じ込め
といった政治的目的と密接に結びついている。
核抑止力の効力を強調することで、日米安保の価値を過大評価し続ける構造を生み出してきたとも言える。
② 常任理事国(P5)が外交優位を維持するための論理武装
核兵器を持つ国=常任理事国(米・英・仏・中・露)は、国際政治の上位階層に位置する「核クラブ」を形成している。
彼らは次のように語る。
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核が世界秩序を安定させている
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核拡散を防がねばならない
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新規保有国は危険
しかしこの論調は、
「いま核を持っている側が保持している特権を永続化したい」
という大国側の利益に合致している。
核抑止を強調することで、
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自国の核保有を正当化しつつ
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他国の核開発を封じ
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国連・外交・軍事で圧倒的優位を維持
するための政治的・心理的プロパガンダとして機能している。
結論:核抑止は理論ではなく“信仰”
ここまで検証すると次の結論に至る。
| 核抑止論の主張 | 現実 |
|---|---|
| 核があれば攻撃されない | 北朝鮮の例は因果不証明。核保有国も攻撃されている |
| 核があれば政権維持できる | 革命や内部崩壊には無力 |
| 核は平和の保証 | 戦争の手段が変化しただけ |
| 核は国家を強くする | 財政負担・外交制裁の原因にもなる |
つまり核抑止力とは、
検証も証明もされていない政治的信念であり、
安全保障の科学ではない。
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