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ウクライナ戦争前と酷似しているSNSファシズムという状況

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ウクライナ戦争について語られるとき、ほとんどの場合、結論は最初から決まっている。

「ロシアが悪い」「ロシア人が悪い」。

この単純で感情的な言葉はSNSで拡散され、疑問を挟む余地すら許されない空気を作り出した。

だが、本当にこの戦争は「善と悪」だけで説明できるものだったのだろうか。


マイダン革命は本当に「英雄的民主化」だったのか

2014年のマイダン革命では、100名以上が狙撃され死亡した。

しかし、その狙撃者の正体はいまだに明確ではない。

それにもかかわらず、事件は「市民による民主革命」という美談として語られ、検証や疑問は「親ロ派」「陰謀論」として排除されていった。

さらに、当時から存在していた極右武装組織やアゾフ連隊といった存在は、いつの間にか報道から消え、言及すること自体がタブーになった。

「語られなくなった事実」が増えるほど、物語は単純化し、SNSで拡散しやすい“分かりやすい正義”だけが残っていった。

1. 米国政府系組織の関与と世論形成

マイダン革命以前から、ヴィクトリア・ヌーランド氏(当時の米国国務次官補)が関与する形で、NED(全米民主主義基金)などの米国政府系組織が、ウクライナ国内の親欧米派NGO、インフルエンサー、メディアに多額の資金提供を行っていたことは公表資料から確認されている。

これは「民主化支援」という名目であったが、結果として特定の政治的方向性(親EU・反ロシア)に有利な情報環境が意図的に形成された。


2. 「シリコンバレーの倫理」と情報空間の非対称性

SNSのプラットフォームは全て米国テック企業で米国テック企業では、「独裁政権を倒す民主化運動を支援することは正義である」という価値観が強く存在していた。

その結果
・親露派の意見は「ロシアの工作」「デマ」として制限され
・デモ隊や革命側の投稿は「市民の自由な声」として保護された

という、明確なバイアスを伴う運用が行われていたと考えられる。

これは中立的な言論空間ではなく、革命を後押しする方向に調整された情報環境だった。


3. 革命後に否定された東部・クリミアの民意

革命後、東部ウクライナやクリミアの住民による選挙や住民投票は、一貫して不当・正統性なしとして扱われた。

一方で、マイダン側の行動は「民意の表出」とされ、反マイダン側の行動は否定されるという二重基準が適用された。この扱いはメディアとSNSの賛美とは真逆の不当な選挙であった。


4. マイダン革命時の狙撃事件をめぐる疑惑

革命の最中に発生した狙撃事件については、後年、革命側勢力がウクライナ人を撃った可能性を示す証拠や証言が複数提示されている。

これが事実であれば、暴力を政権側の責任に見せかけ、世論と国際社会を一気に革命支持へ傾けるための引き金事件だった可能性がある。


5. オリガルヒの誤算

ウクライナのオリガルヒ層は、革命前から欧米と接触し、親欧米路線を取れば守られると期待していた。

しかし革命後、彼らが十分に保護されることはなく、政治的・経済的混乱の中で立場を失った者も多かった。結果として、利用されたが守られなかった構図が浮かび上がる。


6. 国民に提示されたEU加盟という幻想

一般国民に対しては、EU加盟が現実的に近づいているかのような期待が与えられた。

特に、ユーロ2012サッカー大会がウクライナで開催され、欧州側が思わせぶりな態度を取ったことで、「自分たちはすでにEU圏に近い存在だ」という幻想が広がった。

しかし実際には、EU加盟は具体化せず、経済的恩恵もなくむしろロシア依存による急激な物価高という代償だけになった。


7. ソチ五輪と地政学的タイミング

当時のウクライナ情勢を考えると、政権交代を待たずとも、あと半年程度で平時の選挙を行うことは十分に可能だった。

それにもかかわらず、なぜこのタイミングで革命を強行する必要があったのかという疑問が残る。

革命が激化した時期は、ロシアがソチ冬季オリンピックを開催している最中であり、国際的注目と国家リソースが五輪に集中していた。
この「今しかない」という状況は、ロシアが迅速かつ強硬に対応しづらい時間帯でもあった。

つまり、平時の正しい選挙を待つよりも、ロシアが身動きの取りにくい五輪開催中こそが好機であると判断した、大国の地政学的思惑があったと見る余地がある。


8. 革命後の「一挙両得」

革命以降、
・ロシア産ガス依存をめぐる混乱
・ウクライナへの兵器供給

が拡大し、エネルギー産業や軍需産業の株価は上昇した。

結果として、アメリカは地政学的影響力を拡大すると同時に、経済的利益も得るという一挙両得の状況になった。


9. 最大の損失を被ったのは当事者

この一連の過程で、ロシアとウクライナの双方は、人命、経済、社会的安定の面で甚大な損害を被った。

一方で、革命を後押しした外部勢力は、直接的な犠牲をほとんど負っていない。この非対称性こそが、マイダン革命をめぐる最大の問題点である。


ロシア依存という現実を無視した外交選択

ウクライナの経済と生活インフラは、もともとロシア依存が強かった。

これらを一気に断ち切ることは、理想論ではなく現実の生活に直撃する

にもかかわらず、

ドンバスに住むロシア語話者からすれば、「政治的選択の代償」を一方的に押し付けられた形だった。

西側へのエネルギー転換はコストも運用負荷も高く、EUに加盟したとしても、ギリシャのように経済破綻した国が現実に存在する。

それでも「西側につけば助けてくれる」という言説だけが拡散された。


SNSが生んだ「ロシアンヘイト」とエコーチェンバー

SNSでは、過激で単純な言葉ほど拡散されやすい。

アクセス数が多い意見が、いつの間にか「正しい意見」になり、冷静で合理的な分析は埋もれていった。

こうして形成されたエコーチェンバーの中で、ロシア側の安全保障上の視点は一切考慮されなくなった


経験のない大統領と、煽られた世論

ゼレンスキー大統領は、政治経験のない人物だった。

彼が支持を集めた最大の要因は、ロシアへの強硬姿勢だったとも言える。

これらが、ロシアにとって「一線を越えるシグナル」であるという理解は、SNS世論の中ではほとんど共有されなかった。

「西側につけば守ってもらえる」

「ロシアは侵攻できない」

こうした誤情報が拡散され、結果として最悪のシナリオ=ロシア侵攻が現実になった。

ロシアが侵略した事が悪いのは間違いないけども、トリガーはウクライナ自身にあった事も事実。

国民が印象だけでなく正確な情報で判断していたら今の状況は避けられてたと思う。


戦争後に残ったのは、誰のための正義か

侵攻が始まると、ウクライナ国内の世論はさらに過激化した。

生活は苦しくなっても、「逃げる自由」は制限されていく。

SNSで叫ばれていた「自由」「民主主義」とは、誰のための言葉だったのか。


これは日本の未来ではないのか

同じ構図が、今の日本でも見え始めている。

一方で、正確で合理的な外交・安全保障の説明をすると、

「スパイだ」

「親中だ」

とレッテルを貼られ、排除される。

核抑止力はただのプロパガンダ

で指摘しているように、核抑止論は緊張を煽りたい側の論理であり、証拠や整合性に乏しい

それでもSNSでは、

「核を持てば安心」

「持たないのはお花畑で愚か」

という単純な結論だけが残り、いつの間にか核保有賛成が“多数派の空気”になっている。


SNS世論は、合理的外交を簡単に踏み潰す

SNSは民主主義を強化するどころか、

へと社会を押し流す。

その結果、正確で複雑な外交戦略よりも、煽りが優先される

ウクライナ戦争は、その帰結の一つだったのではないか。

そして日本も、同じ道を進み始めているのではないか。

戦争は、突然始まるのではない。世論が「それしかない」と思い込まされたときに、静かに準備が整う。

そのことに、今こそ目を向けるべきではないだろうか。


世論は素人であり、時間も能力も限られている

一般市民は、

仕事や生活の合間に、SNSで流れてくる「短く」「刺激的な」情報に触れるだけだ。

それ自体は責められるべきことではない。

問題は、その素人の集合知が常に正しいとみなされている点にある。


SNSが世論を「単純化・過激化」させる構造

SNSでは、

という明確な構造がある。

結果として世論は、

という幼稚な二元論に押し込められる。

なぜインフルエンサーは事実より過激な発言が多いのか

で述べている通り、インフルエンサーが過激化するのは思想の問題ではなく、アルゴリズムへの適応だ。

そしてこの単純化・過激化は、もはや娯楽や炎上だけの問題ではなく、政治判断そのものに影響を与える段階に来ている。


「世論は正しい」という前提が、もはや成立しない

民主主義では、世論が正当性の源泉とされる。

だが、

のであれば、その前提自体が崩れている。

それでも政治家は、

「世論がそう言っている」

「支持率が下がるから」

という理由で、合理的ではない政策・危険な発言を選択してしまう。

ウクライナの例で言えば、NATO加盟や核放棄見直し発言が「支持される空気」を作ったのは、冷静な戦略論ではなく、SNS世論だった。


間違った世論を「修正する手段」が存在しない

さらに深刻なのは、一度固定化したSNS世論を修正する方法がほぼ存在しないことだ。

というラベル貼りで、議論は即座に遮断される。

これはもはや「意見の違い」ではなく、ファシズムだ。


では、SNSに制限をかけるしかないのか

この構造を放置すれば、

という流れは止まらない。

そう考えると、SNSに何らかの制限を加える以外に方法がないのではないか
という、極めて不都合な結論に行き着く。

しかし当然、

という批判が必ず出てくる。

皮肉なことに、SNSが世論を極端にしている現実を直視せず、SNS規制だけが「危険」とされる


民主主義は「前提条件」を失いつつある

民主主義は本来、

を前提として成立する制度だった。

しかし今や、

ウクライナ戦争は、その破綻が最も悲劇的な形で表出した例かもしれない。

そして日本もまた、同じ構造の中で「煽りが正義になる社会」へと進んでいる。

問題はもはや、「何が正しいか」ではない。

正しさが成立しなくなる仕組みそのものに、私たちはどう向き合うのか、という段階に来ているのではないだろうか。

 

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