靖国神社参拝の本当の悲劇②
靖国神社を巡る問題は、しばしば「宗教の自由」「歴史認識」「英霊への敬意」といった感情的で単純な言葉に回収されがちだが、実態はそれらでは説明できない、制度・権力・政治の問題である。
以下、これまでの整理に 重要な補強点を加える。
1. 大前提:靖国神社は「国家神道」の装置だった
靖国神社は、単なる一宗教法人ではない。
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創建目的:「国家のために死んだ者を、天皇のための霊として祀る」
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祭祀主体:天皇を頂点とする 国家神道体系
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役割:個人の死を、国家への忠誠という価値に回収する装置
つまり靖国は、
「信仰の場」ではなく「国家と天皇を正当化するための宗教装置」
だった。
戦後、国家神道はGHQによって制度上は解体されたが、靖国神社は「宗教法人」という法的ロンダリングを経て生き残った。
2. 決定的転換点:A級戦犯合祀と天皇の拒絶
1978年のA級戦犯合祀
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松平永芳(第6代宮司)が秘密裏に断行
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合祀されたのは:東条英機ら「国家意思決定の中枢にいた者」
これは、
「戦争の犠牲者」ではなく「戦争を指導した者」を同列に“英霊化”する行為
だった。
昭和天皇の明確な意思表示
この合祀に対し、昭和天皇は:
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強い不快感を示し
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以後、靖国神社への参拝を完全に中止
これは極めて重い事実である。
重要なポイント
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天皇は「靖国=国家神道の中核」である
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その天皇自身が参拝できない場所になった
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それでも合祀は撤回されなかった
結果として生まれたのが、
「天皇が行けないのに、首相が行く」という制度的にも象徴的にも破綻した構図
である。
3. 「分祀」はかつて、日本国内で真剣に議論されていた
現在の参拝支持者はしばしば、
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「参拝反対は中国・韓国の内政干渉」
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「外圧に屈するな」
という単純な図式で語る。
しかし、これは事実と異なる。
分祀論は「国内発」の議論だった
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遺族会
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元官僚
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保守政治家
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宗教学者
これらの間で、1970〜90年代にかけて分祀論は日本国内で強く存在していた。
論点は一貫していた:
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A級戦犯合祀によって
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靖国の性格が変質した
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天皇が参拝できなくなった
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ならば「宗教的整理」が必要ではないか
つまり分祀は、
「外交配慮」ではなく「靖国自身の自己矛盾を解消するための内政議論」
だった。
4. それでも分祀ができなかった理由
靖国神社側は、神道教義としての 「座(ざ)」 を持ち出す。
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一度合祀した霊は分けられない
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水に落としたインクのように混ざる
しかし、
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これは靖国神社独自の解釈
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伊勢神宮・出雲大社・地方神社には同様の不可逆的霊的混合論は存在しない
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役員自身はこの「座」に入らない
つまり「座」とは、
政治的要求を無効化するための“理屈”
であり、宗教的必然ではない。
5. 現在の参拝支持論の決定的な浅さ
現在の参拝支持者の多くは、
「命をかけて日本を守ろうとした英霊への感謝」
という情緒的フレーズだけで支持している。
しかし、そこでは以下が完全に無視されている。
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靖国が国家神道の装置だった事実
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A級戦犯合祀により天皇自身が参拝を拒否した事実
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分祀が日本国内から強く求められていた歴史
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合祀が政治的意思によって行われた経緯
結果として、極めて浅い理解のまま、極めて重い政治行為を支持しているという情けない状態が生まれている。
6. 結論:これは「英霊」の問題ではない
靖国問題は、
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英霊を敬うか否か、ではない
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戦争をどう記憶するか、だけでもない
本質は:
誰が、どのような権力構造で、戦争責任を再定義しようとしているのか
という問題である。
そして現状は、
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解決しないこと自体が
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特定の国内外勢力にとって都合が良い
という「解決不能なシステム」になっている。
日中国交正常化とA級戦犯合祀が同じ年に起きたのは偶然とは言い難いので個人的には日本を東アジアから孤立させるための工作の可能性が高いと思います。
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