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アパルトヘイトとパレスチナ

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映画『エンドゲーム 〜アパルトヘイト撤廃への攻防〜』から考える「テロリスト」と「英雄」の境界線

以前、スーダンで映画『エンドゲーム』を観た際に、私は南アフリカのアパルトヘイトと現在のイスラエル・パレスチナ問題が重なって見えました。

映画の主催者もテロップでハマスも同じ戦略をとっている「free palestine」とテロップを流していたので意図的に放映したと思います。

歴史的背景も宗教も違うため単純比較はできません。

しかし、「強い支配者」と「支配される側」、「国家」と「武装組織」という構図には共通点があります。

南アフリカでは白人政権が軍事力と経済力を握り、黒人住民の権利を厳しく制限していました。

その中で黒人解放運動を率いたのがANC(アフリカ民族会議)です。

一方でパレスチナ問題では、イスラエルが強大な軍事力を持ち、パレスチナ人との対立が続いています。

その中で武装抵抗組織として存在感を持つのがハマスです。

興味深いのは、ANCもハマスも立場によって全く異なる評価を受けることです。

支配する側から見れば国家の安全を脅かすテロ組織です。

支配される側から見れば自由や独立のために戦う抵抗組織です。

実際、現在では平和の象徴として語られることの多いネルソン・マンデラも、冷戦時代にはアメリカやイギリスから危険人物として扱われていました。

ANCは当初非暴力路線でしたが、1960年のシャープビル虐殺事件をきっかけに武装闘争へ転換します。

政府施設やインフラへの破壊工作を実施し、後には民間人が巻き込まれる事件も発生しました。

そのため当時の西側諸国からは「テロ組織」と呼ばれました。

さらに冷戦下ではANCがソ連やキューバから支援を受けていたため、アメリカやイギリスはANCを共産主義陣営の一部として警戒しました。

しかし時代が変わると評価も変わります。

かつてテロリストと呼ばれたマンデラはノーベル平和賞を受賞し、大統領となり、世界中から尊敬される人物になりました。

ここで考えさせられるのは、「テロリスト」という言葉そのものです。

もちろん民間人を意図的に攻撃する行為や無差別殺傷は非難されるべきです。

しかし歴史を振り返ると、ある時代にはテロリストと呼ばれた人物が、後の時代には独立の英雄や建国の父として評価される例も少なくありません。

逆に、当時は正義の側として称賛された勢力が、後世では抑圧者として批判されることもあります。

結局のところ、「英雄」と「テロリスト」の境界線は、行為そのものだけではなく、その時代の政治状況や勝敗、そして誰が歴史を書くのかによっても大きく変わってしまいます。

パレスチナ問題でも似た構図を見ることができます。

ハマスは2006年のパレスチナ立法評議会選挙で勝利し、民主的な選挙によって一定の支持を獲得しました。

一方で欧米諸国やイスラエル、日本などはハマスをテロ組織として指定しています。

また、欧米的にはパレスチナ自治政府を主導するファタハがあります。

しかし、ファタハについては傀儡政権と批判するパレスチナ人やアラブ・ムスリムも存在します。

私自身もムスリムの友人から「欧米やイスラエルに賄賂で買収された傀儡政権」という意見を聞いたことがあります。

映画『エンドゲーム』の価値は、まさにこうした単純な善悪二元論を崩してくれる点にあります。

そこに登場するのは「正義の味方」と「悪の独裁者」ではありません。

お互いをテロリスト、弾圧者、人種差別主義者と呼び合っていた人々です。

しかし交渉の場では、彼らは初めて相手を抽象的な敵ではなく、一人の人間として見ることになります。

歴史を振り返ると、昨日のテロリストが明日の大統領になることがあります。

そして昨日の英雄が、後世では批判の対象になることもあります。

ネルソン・マンデラが1993年にノーベル平和賞を受賞し、1994年に南アフリカの大統領になった後も、アメリカ政府の「テロ監視リスト」にはANCとマンデラの名が残り続けていました。

これが公式に削除されたのは、なんと2008年(マンデラが90歳になる年)のことです。

映画『エンドゲーム』の凄みは、まさにこの「国際社会から凶悪なテロリストと指定されていたANCの幹部」と、「彼らを抹殺しようとしていた白人政権の秘密情報機関のトップ」が、イギリスの田舎町で顔を突き合わせ、お互いを「人間」として認め合っていくプロセスを忠実に描いている点にあります。

この歴史を知った上で映画を振り返ると、スーダンで観た際になぜあれほどパレスチナの状況と重なって見えたのか、より腑に落ちるのではないでしょうか。

だからこそ私たちは、「誰がテロリストなのか」という問いだけでなく、「なぜその人たちがそう呼ばれるようになったのか」「誰がそう呼んでいるのか」という視点も持つ必要があるのではないでしょうか。

『エンドゲーム』は、そんなことを考えさせてくれる作品でした。

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